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『中国現代文学5』 あとがき
「世界中のすべての夜」訳者あとがき
二〇〇二年の夏、遅子建は中国作家代表団の一員として訪日するはずだった。しかし、実現しなかった。後に、夫が交通事故で亡くなったという知らせを耳にして、大変驚き、また悲しかった。今回訳出した「世界中のすべての夜」には、夫の死に対する主人公「私」の思いが述べられている。小説という虚構の世界を通してではあるが、自分の愛する者を失った心境を、世界中の読者に語ることは勇気がいる。比較的早く立ち直り、実り多い創作活動を再開できたのは、文学に対する並々ならぬ情熱からだと思う。
この作品の中で、「私」は「アリは逍遙の神だ。そして私はそんなアリになりたい」と述べている。「私」はアリのように歩きながら、炭鉱の町・烏塘(ウータン)を見ている。夫を炭鉱事故で亡くし自暴自棄に生きる蒋百嫂(ジアン・パイサオ)、もと炭坑夫で事故で九死に一生を得て豆腐屋稼業に精を出す周二(ヂヨウ・アル)と小さな旅館を切り盛りする心根のやさしい妻、民謡を心の支えとして生きた陳紹純(チェン・シャオチュン)老人……。描かれているのはみな庶民である。遅子建は類い希なる想像力の持ち主だと思う。これからも「アリの目」で中国を、そして世界を見て語ってほしい。
遅子建は一九六四年黒龍江省漠河(北極村とも呼ばれる)生まれ。中国の最北端で、一年の半分以上を雪に覆われ、目の前を黒龍江が流れる。小・中学時代は少し南よりの塔河で両親と姉、弟と暮らした。八四年、大興安嶺師範学校を卒業し、中学及び大興安嶺師範で教鞭をとる。この頃から作品を書き始めた。小さな女の子の目で見た漠河での暮らしを書いた〈北極村童話〉は出世作。後に北京の魯迅文学院で創作を学ぶ。九〇年に黒龍江省作家協会に所属。現在同会副主席。ハルビン在住。
自らを育んだ東北の大地とそこに生きる人々を題材に作品を書き続けている。トナカイの遊牧と狩猟生活をしてきたエヴエンキ族の百年の歴史を、族長の血筋を汲む九十歳の老女が一人称で語るという形式をとった、長編《額爾古那(アルグナ)河右岸》は第七回茅盾文学賞(二〇〇八年)を受賞。受賞歴の多い作家で、「年越し風呂〈清水洗塵〉」が第一回魯迅文学賞短編賞 、「霧の月〈霧月牛欄〉」が第二回魯迅文学賞短編賞、そして今回訳出した「世界中のすべての夜」は第四回魯迅文学賞中編賞を受賞している。最近は〈起舞〉〈布基蘭小站的臘八夜〉など読み応えのある中編を多く発表している。
邦訳作品には『偽満州国』上下(河出書房新社)、 「原風景〈原始風景〉」「ナミダ〈逝川〉」「ねえ、雪見に来ない〈朋友們来看雪吧」(『季刊中国現代小説』蒼蒼社)、「山の実を摘む人〈採漿果的人〉」(『火鍋子』)などがある。
■金子わこ(かねこ わこ)
遅子建の翻訳に「じゃがいも」(『現代中国女性文学傑作選2』鼎書房)、「花びらの晩ごはん」(『季刊中国現代小説』蒼蒼社)がある。ほかに、魯羊「銀色の虎」、畢飛宇「雲の上の暮らし」、邱華棟「大エルティシ川」、東西「俺にはなぜ愛人がいないんだろう?」(いずれも『季刊中国現代小説』)など。
「X ON THE BUND」訳者あとがき
陳丹燕は北京生まれ、上海在住の作家。
一九九二年に発表された《一個女孩》(ある少女)はドイツ、スイスなどで児童文学の賞を受賞している。その後、「陳丹燕の上海シリーズ」と称する一連の作品で、中国および世界の国々に残された資料をもとに史実を検証し、上海を背景にした実話物語を数多く手がけた。そのうち、《上海的風花雪月》(『上海メモラビリア』草思社)、《上海的金枝玉葉》(『上海プリンセス』光文社)、《上海的紅顔遺事》(『上海音楽学院のある女学生の純愛物語』講談社)は日本語にも訳され、日本でも多くの読者を得た。上海を愛し、上海という都市の特性から形成される上海人、ひいては中国人の気質の一端が窺えるような小説、エッセーを数多く発表している。
本編は《外灘 影像与伝奇》(作家出版社、二〇〇八年一月)の一節に手を加え、短編として《小説月報》に発表されたものである。陳丹燕の他の作品と同様、本作のMは実在の人物で、外灘(ワイタン)=バンド(BUND)を見下ろすレストラン
M on the bund も日本の旅行案内書にも掲載されている実在の店である。
Mは外灘にレストランを開き、かつての租界時代を思い起こさせるBUNDの名を冠した。そのレストランは予約から店内の接客まで英語が使われる。このような店が、上海というかつて半植民地状態を強いられた歴史を有する街で、植民地主義者が侵入したBUNDで営業していることは、上海の人々やメデイアの注目の的になり、物議をかもしたことも実際あったようだ。しかし、いまや外灘は X on the bundの時代で、メディアもそれを批判することはもはやない。作品の最後には、そんな外灘の現状への冷めた視線も描かれている。
先日、上海で作者に会う機会があった。すべての人が同じ方向性でものを考え、正しいか正しくないかでしか物事を判断しない時代は、もう終わりに近づいている、この作品がそのことに気づくきっかけになってくれれば、と静かに語ってくれたのが印象的だった。
二〇〇九年九月、北京の中心部にある正陽門の斜向かいに天安門の全景を眼下におさめることのできる Capital M がオープンしたという。
■葉紅(よう こう)
翻訳に高倉健《期待着你的誇奨》(広州出版社)、阿成「カラス」(
『中国現代文学』第2号、ひつじ書房)がある。
「珊珊(シャンシャン)」と「小恒(シャオホン)」訳者あとがき
史鉄生の随筆集『記憶と印象』(二部構成)から、今回は第二部第四編と第五編を訳出した。「珊珊(シャンシャン)」と「小恒(シャオホン)」は、作者と同じ院子(ユアンズ)で幼少年期をすごした少女と少年の名前である。
いまや希少価値となりつつある北京の伝統的な家屋は、中庭を囲んで東西南北に平屋が建つ四合院だが、解放後は、ひとつの四合院にいくつかの家族が住んでいる場合が多く、それを雑院とも言う。作者が育った院子もそのような雑院である。建物は家族ごとに分けて住むが、中庭は共用なので、まさに井戸端を介しての密な近所づきあいがある。同じ院子の子どもたちは、ほとんど親戚か兄弟姉妹のようにして育つ。この二編からは、そのような空間で育った子どもたちの様子と、彼らを見守る大人たちの思いが窺われる。
かれらが幼少年期を過ごした一九五〇年代、六〇年代の中国は、過酷な歴史の連続だった。ここに語られる思い出が懐かしさばかりではなく、むしろ哀しみや恐れであるのもそのような時代背景が大きい。ことに「小恒」には、子どもにも容赦なく襲いかかった文化大革命の苛烈な現実が綴られている。しかし、珊珊や小恒や作者の哀しみや恐れが、そのような歴史を知らない読者にも強く訴えかけるのは、この二編が、歴史や事実だけでなく、おそらくすべての少年少女たちが抱く(抱いた)であろう〝行き場のない思い〟や〝脆弱な良心〟を掬い取り、伝えているからだろう。
史鉄生は一九五一年北京生まれ。文革中に知識青年の一人として延安地区(陝西省延川県)の山村に入り労働に従事した三年余を除いて、ずっと北京で暮らしている。その作品は、抑えた筆致の中に凝縮された抒情性、生命に対する深い観察と思索を特徴とする。それはもちろん史鉄生の作家としての資質によるものだが、文革中に両脚が麻痺して以来車椅子を使用する生活であること、さらに十年ほど前からは腎臓を患い、週三日透析を受けるという日々の中で創作を続けていることと無縁ではないだろう。ときに難解で哲学的とも評されるその作品は、加速度的に進行する文学の商品化・大衆化の中にあって、特異な存在といえる。しかしその思惟の深さと、ますます洗練される文章を愛する読者は少なくない。
邦訳書に、初期の小説を集めた『史鉄生―現代中国文学選集3』(徳間書店)、『遥かなる大地』(宝島社)があるほか、『季刊中国現代小説』(蒼蒼社)には近年までの小説・随筆が十数編収められている。
■栗山千香子(くりやま ちかこ)
翻訳に史鉄生「僕たちの夏」(『紙の上の月』JICC出版局)、「鐘
声」「他者」「塀づたいの道」 (『季刊中国現代小説』)、北島「
廃墟」(『紙の上の月』)、述平「キープ・クール」、遅子建「年越し
風呂」、蒋韻「ねむの花」(『季刊中国現代小説』)、徐坤「屁主(へ
なぬし)」(『現代中国女性文学傑作選2』鼎書房)等がある。
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